塵も積もれば針の山

娘からの針の言葉に堪え忍ぶ母の独り言

台所で食事をするとき

娘が帰省するとダイニングテーブルの私の場所に娘がベビーフードやら食器棚にしまっているベビー食器を全部広げる。食事をするとき私の場所はなくなる。そこで私は台所の流し台で食事をする。「食べる場所を空けて。」とは言えない。娘にとって諸々の品を置くために私の場所が必要な場所。そのせいで私が流し台で食事をしているとは考えが回らないだろう。言わなくていい。言えば100倍跳ね返される。

 

昔読んだ漫画の中にこんなシーンがあった。18世紀のヨーロッパ。貴族の邸宅に招かれた有名音楽家。演奏を披露して拍手喝采。その後食事は何と貴族のダイニングでなく使用人部屋に用意されていたのだ。有名音楽家であろうと貴族ではないので食事は使用人部屋。徹底した階級社会の時代。

 

私は有名音楽家ではないけど,使用人部屋で食事をする場面が自分の立場と重なってくる。娘から見ると私は料理人。料理さえ作れば同じテーブルで食べているか流し台で食べているか,知ったことではない。そんなところだろう。波風を立てるともっと大変だから私も夫も何も言わない。