塵も積もれば針の山

娘からの針の言葉に堪え忍ぶ母の独り言

明日はおむすびをもって

明日は娘のところに子守りに行く日。

娘が用事で外出しないと行けないときに子守りに来てと言われる。

孫に会えるのはとてもうれしい。お昼過ぎるのがわかっているときは途中のスーパーで私たちじじばば夫婦と娘の弁当を買っていく。お昼ごはんの弁当を娘の家で食べても弁当容器などのゴミは持って帰れと言われる。なので食事が済むとすぐに車に弁当容器のゴミを積み込む。

 

昼食の弁当,デザート,飲み物など毎回買うとけっこうお金がかかる。明日は朝早く起きて,おむすびを作って持っていくことにした。かなり節約できるし,持ち帰りのゴミも減量できるはず。

 

遠方から子守りに来て,弁当も買ってきて,そのゴミは持って帰れと言われるのは私の中ではありえない。子育て中私が自分の母親に来てもらったときは,感謝こそすれゴミは持って帰れなど思いもつかない。

台所で食事をするとき

娘が帰省するとダイニングテーブルの私の場所に娘がベビーフードやら食器棚にしまっているベビー食器を全部広げる。食事をするとき私の場所はなくなる。そこで私は台所の流し台で食事をする。「食べる場所を空けて。」とは言えない。娘にとって諸々の品を置くために私の場所が必要な場所。そのせいで私が流し台で食事をしているとは考えが回らないだろう。言わなくていい。言えば100倍跳ね返される。

 

昔読んだ漫画の中にこんなシーンがあった。18世紀のヨーロッパ。貴族の邸宅に招かれた有名音楽家。演奏を披露して拍手喝采。その後食事は何と貴族のダイニングでなく使用人部屋に用意されていたのだ。有名音楽家であろうと貴族ではないので食事は使用人部屋。徹底した階級社会の時代。

 

私は有名音楽家ではないけど,使用人部屋で食事をする場面が自分の立場と重なってくる。娘から見ると私は料理人。料理さえ作れば同じテーブルで食べているか流し台で食べているか,知ったことではない。そんなところだろう。波風を立てるともっと大変だから私も夫も何も言わない。

きりがない

孫が来たときのため,いろいろなものを買いそろえています。

布団一式,おもちゃ,おしめ,食事用イス,カーシート・・・。

布団は防水シーツ,あったかシーツ,キルティングシーツ,毛布,タオルケット等々,季節に応じたものがいるのでかなりの量になります。

うちに帰省して使い心地がよかったら娘が当然のように持って帰ります。なので補充をしていないと「なんでないの?」と責められます。結構な出費ですが,孫が気持ちよく使っているのならそれはそれでいいです。

でも当然の権利のように持って帰って,「なんでないの?」と言われるのは悲しい。

その言い方

娘が帰省して心身ともに疲れ果て,やっと帰った日の次の日,胃が気持ち悪くなり何回も嘔吐しました。疲労によるものだと思います。娘が帰省している間のトゲのような言葉に胃をやられたのだと思います。

 

私が体調不良だと子守りができないので,嘔吐した事実だけを伝えました。すると「衛生管理ができていないせいでしょ。」といかにも娘らしいひとこと。私なら実の母親には「大丈夫?」「無理しないで。」「お大事に。」こんな言葉を掛けると思います。

衛生管理についても包丁やまな板は使うたびに洗剤で洗い,アルコール消毒もまめにしています。もちろん食器や鍋などもきちんと洗っています。食材はもちろんです。

とにかく私の非をあげつらわなければ気が済まないようです。それを聞いて,回復しつつあった体調がまたしんどくなりました。心と体は本当につながっています。

 

来週は子守りの要請がありました。これを「参勤交代」と呼んでいます。孫はかわいい。しかし娘に会うかと思うと今から胃が締め付けられるようです。

生まれてきたくなかったのに

何度も娘から言われた言葉。

生まれてきたくなかったのに。勝手に産んだくせに。

 

テレビドラマでは「お父さんお母さんの子どもに生まれてきてよかった」なんて言葉がラストの感動シーンでありますが,あれはキラキラした別の世界。

 

でもね,私だって,いやだれだって,頼んで生まれてきた人はいない。

生まれてきたことを恨んではそれは堂々巡り。

宇宙のビッグバンをなかったことにするしかない。

娘の帰省

娘が孫を連れてときどき帰省します。

その期間中は私は召使いのように働きます。何を言われても「はい」と返事をし,食事の支度,洗濯,そうじ,いつもの倍のはたらきぶりです。

娘は実家が住み心地が悪い,掃除が行き届いていないなど,帰るたびに不満を言いますが,実家だと何も家事をしなくていいので帰省します。

娘が母である私に辛らつな言葉を投げつけても夫は何も言いません。夫が口を挟むと私の味方をしたと火に油を注ぐ結果になることが分かっているからです。

娘が自宅に帰った後,夫は「疲れただろう。何もしなくていいから。」と言って家事全般をしてくれます。夫の言葉に甘えてひたすら休養をします。娘が帰省するたびに何を言われるか怯えて暮らしています。孫がかわいいのが救いです。

 

禁句

これをうっかり口にしては娘に叱られることばがいくつかある。

「でも」と何気なくいうと,娘の言ったことに反論した,口答えしたとキレられる。

「だって」は言い訳したと言われる。

無意識にこんな言葉を口にして娘にキレられたとき「ごめんなさい」というと,娘が母である私を責めたように聞こえると,また怒る。

 

松尾芭蕉の俳句に「物言えば唇寒し 秋の風」というのがあったが,江戸時代の人も発言にものすごく気を遣っていたんだろうな。こんなことわざもある。「沈黙は金」でもほんとに沈黙するとそれはそれで「無視した」と怒られるので,どうしたらよいかわからない。私,よく生きているな。生きている自分を褒めることにする。